日本近代史に関する史料を読むうえで難しいと感じられる漢文訓読体などの明治時代の文語文の読み方について、以前作成した演習資料を書き直したものです。内容は暫定的なものです。高校で古文・漢文をちゃんと勉強していればそこまで難しくないのでは…と一方で思うのですが、かといって現在には漢文をほとんど習わずに大学受験する人も少なくありませんので、作成しました。

なお、日本近代史の史料としては法令や公用文、政治家・知識人らのによる著述、その他の新聞・雑誌記事のほかに、日記や書簡などの私文書が重要な位置を占めますが、和文や候文(書簡に多く見られる)で書かれた文については、ここでは言及できていません。あらかじめご注意ください。

はじめに

いくつかの参考となる文献を紹介します。文法の解説は現状、次の書籍に尽くされていますので、まずこれをよく読んでください。

古田島洋介『日本近代史を学ぶための文語文入門』(吉川弘文館、2013年)

同書では、漢文訓読体は「近代の史料読解における最大の難関」(同書ⅲ頁)としたうえで、「現在、まともに訓読法を教えているのは、正規の教育機関ではなく、優れた講師を擁する一部の予備校だけなのである。センター試験を受けず、予備校に通った経験もなく、たとえ通ったとしてお漢文の授業には出席しなかったとなれば、訓読法に関する知識は皆無も同然、漢文の実力は零に近い」(同書ⅳ頁)と述べています。テキストとして『米欧回覧実記』や福澤諭吉のテキストが言及されていて、明治期の入門編となっています。なおここで言及されていると思われる「優れた講師を擁する一部の予備校」のテキストとして川戸昌・二宮加美『近代文語文問題演習』(駿台文庫、2009年)などがあります。練習問題と解説がついています。

庵功雄『留学生のための近代文語文入門』(スリーエーネットワーク、2021年)

 副題に「現代の日本と日本語を知るために」とあります。こちらは文語文と現代日本語の関係を述べた上で、基本文法(活用など)を解説し、精読用テキスト、リーダーなど、練習用教材が『明六雑誌』や中江兆民、夏目漱石、美濃部達吉、河上肇らの評論まで、明治から大正にかけて比較的豊富に載せられています。

その他、吉川幸次郎『漢文の話』(ちくま学芸文庫、2006年)では、「少くとも漢文の文法は、いわゆる日本の「古文」の文法よりも簡単である」(36頁)としています。その理由は論説や法令などの文語文に敬語が登場しないからでしょう。

1.漢文訓読体とは何か

簡単に用語を定義しておきます。

  • 文語文…口語文と異なり、平安時代以後独自の発展を遂げてきた日本語の古語によって書きあらわれた文章。和文・和漢混交文・漢文訓読体・候文などがある。
  • 漢文訓読…中国語(古代中国語。現代とは異なる)である漢文を、原文の形を残しながら語順を変えて日本語で読めるようにすること(戻って読むレ点、一、二点などを付すことがある)
  • 書き下し文…漢文の語順を変え、日本語として読めるようにかな(カタカナ・平仮名)を補って日本語の語順に書き直したもの
  • 漢文訓読体…上記「書き下し文」に近い文体。明治以後、法令などの公用文・新聞雑誌・文芸で採用されていきます。軍隊でも使われます。第二次世界大戦後の国語改革まで残っていきました。つまり漢文訓読体が読めないということは、近代日本の法令、公用文、軍事関係の基本文書が読めないことを意味します

よって、高校までに漢文を習っていないからと漢文訓読体の文章を敬遠していると、「五か条の誓文」や「大日本帝国憲法」や「終戦の詔書」がいつまでたっても読めません。戦争終結後でも「人間宣言」などの重要文書が読めないことになってしまいます。これらの現代語訳を作るということは専門家の仕事として別途必要でしょうが、日本の近現代史を専門としていた大学生には、基本文書のもともとのテキストを読んで最低限の意味が取れる程度の実力は求められると思います。

2.近代文語文(とくに漢文訓読体)を読むために

近代文語文(とくに漢文訓読体)を読むうえでの注意点の詳細は前掲の書籍を参考にしてください。単語の意味を取りづらい場合は、日本語だからと自分の直観を頼みにせず、基本に立ち戻って辞書を引くことが大事です。自分が知らなかった意味を知れます。

以下、上記の書籍なども参照しながら、読む前に前提として知っておいてほしい要点を整理します。

  • 単語の意味が現代と違うので、現代日本語で理解しようとすると意味が通らない場合がある(昔の中国語の意味で書かれていたり、意味が定着する前の翻訳語だったりする)。
  • 改行や句点・読点の使い分けなどのルールがあまり意識されていない(文節の区切りが全て「、」だったりする)。
  • 印刷された漢字は旧字体・異体字が用いられるのが普通である(新字体が広がるのは1949年以降)。また、歴史的な仮名遣いが用いられる。
  • 合字と略字(ヿ=コト 乄=シテ など)が用いられることがある。
  • 踊り字(繰り返し符号)…々 ヽ ゝ く 〻が用いられることがある。
  • 明治の前半ほど、濁音に濁点を付けない傾向がある。そのため読むときに適宜補う必要がある。(例)天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス(大日本帝国憲法第三条)
  • 送り仮名は現在よりも少なめである。学校の国語のテストでは×が付くかもしれないが、明治時代の人には関係ないので、読む側が頭で補うしかない。また、読み方について正解が分からない場合もある(どっちで読んでも良いともいえるので、割り切りが必要)。
  • 和漢異義語(日本語と中国語で意味が異なる熟語)には注意する必要がある(人間、故人、真面目など)
  • 翻訳で作られたが今使われなくなった言葉は辞書を引けばだいたい解決する(窮理学、舎密学など)
  • 外国語の地名・人名については、漢字表記する場合と音をカタカナに直している場合と両方ある。Wikipedia「外国地名および国名の漢字表記一覧」も参考程度に。
  • 二字以上の熟語は音読みで、一文字の動詞は訓読みする傾向がある。ただし一文字の漢字にサ変動詞が付く場合はほぼ音読みとなる。微妙なのは「表す」を「あらはす」と読むか「ひょうす」と読むかだが、これは「ひょうす」と読んだからといってダメとは考えられない。
  • 漢字一文字を訓読みしてほしいときは著者の読み仮名指定があると考え、意味さえ通ればどちらでもよいような場面もあるので割り切ることも肝要。迷ったら音読みする。

3.漢文訓読体によく出てくる表現パターン

以下は一例ですが、漢文の句法を理解していればおおむね読めるはずです。知らない人はざっと目を通しておくとよいでしょう。

使役

  • AをしてBせしむ →AにBさせる(漢文では使AB/令AB)

否定

  • Aせず →Aしない(動作を否定) 《不A》
  • Aなし →Aはない(存在を否定) 《無A》
  • Aにあらず →Aではない(状態を否定) 《非A》
  • あえてAせず →無理にAはしない 《不敢A》

二重否定(肯定)

実はこれ、近代文語文で頻出します。強い肯定になるやつです。パターンが多いので数例だけあげます。

  • Aせざるものなし →Aしないものはない(みんなAする) 《無不A》
  • Aせざるべからず →Aしなければならない(Aすべきである) 《不可不A》
  • Aせざるあたはず/Aせざる能はず →Aしないわけにいかない(Aしないでいることはできない) 《不能不A》

疑問

  • ~や・~か →~であろうか 《乎・与・也・哉・耶》
  • 安くんぞ~せんや →どうして~しないのか(理由を聞く=Why)
  • 安くにか~ →どこに~(場所を聞く=Where)
  • 誰か~ →だれか(人=Who)
  • 孰か~ →どちらが(選択=Which)

反語

これも漢文訓読ではよく出て来るパターンだと思います。

  • あに~んや →どうして~であろうか、いや~ではない 《豈》
    (例)是れ豈に遺憾ならざらむや(坪内逍遥「小説神髄」)=これはどうして遺憾でないことがあろうか、いや、実に遺憾である。
  • Aなきを得んや →どうしてAがないだろうか、あるはずだ 《得無A乎》

仮定

  • もし~ば →もし~ならば 《若・如》
  • いやしくも~ば →仮にも~ならば 《苟》
  • たとひ~とも →たとえ~であっても 《縦》

抑揚

  • いわんや~をや →まして~はなおさらだ 《況》

比較

  • AはBにしかず →AはBに及ばない 《A不如(若)B》
    (例)百聞は一見にしかず、と同じなのでこれは難しくないと思います。
  • Aにしくはなし →Aに及ぶものはない・Aが最高だ 《無如A》

詠嘆

  • また~ならずや →なんと~ではないか 《不亦~乎》
  • あに~ならずや →まことに~ではないか 《豈不~哉》

4.その他漢文訓読体の読解に必要な知識

知っておきたい代表的な助動詞

漢文訓読体では、高校古文で多くの生徒を苦しめる「尊敬」の助動詞はほぼ登場しません。なので、「~せらる」が出てきても文中に目上の人のことを探さなくてよいという気楽さはあります。あと「べし」「べからず」は時代の特徴といってもいいくらい、明治の論説には頻出します。

  • る/らる →~れる・られる(受身)・~できる(可能)
  • す/さす/しむ →~させる(使役)
  • ず →~ない(打消)
  • む(ん) →~しよう(意志)・~だろう(推量)
  • き →~した(過去)
  • り →~ている(存続)・~た、てしまう(完了)
  • なり →~である(断定)・~にある(存在)
  • たり →~している(存続)・~した(完了)
  • べし →~だろう(推量)・~できる(可能)・~すべきだ(当然)・~せよ(命令)他

接続詞・副詞(再読文字含む)

  • 而して(しこうして・しかして) →そして、そうして(「しかし」に引きずられそうになりますが、順接の接続詞です。逆接の意味になる場合「而るに(しかるに)」などになります。
  • 未だ~ず →まだ~ない
  • 将に~んとす →いまにも~しそうだ
  • 当に~べし →当然~すべきだ
  • 須らく~べし →~する必要がある
  • 猶ほ~のごとし →ちょうど~のようだ

形容動詞

〇〇たり、〇〇なりの形で漢語とセットで登場します。「悠々たる哉天壌、遼々たる哉古今」(藤村操)のように。論説文などではとてもよく登場します。初見だと難解な意味に見えるものもありますが、そうかと思うと文章の調子を整えるために音で漢字が選ばれていることもあるので、すぐわからなくても落ち込まずに辞書を引くと良いです。

慣用表現

よく出てくる表現です。蓋しは思うに、確かになどの意味。「畢竟」も見慣れないとびっくりしますが「つまり」「結局は」という意味なのでよく使われます。次に出てくる言葉の意味は調べて覚えておくと便利です。

所謂(いわゆる)  以為(おもへ)らく 如此(かくのごとし) 於是(ここにおいて) 以是(これをもって) 庶幾(こいねがう)(≒冀) 就中(なかんずく) 然而(しかりしこうして) 所以(ゆえん) 蓋し(けだし) 畢竟(ひっきょう)

 

 

おわりに

どうやったら読めるようになるかについて、「これだ」という方法があまり思いつきません。私もどうやって読めるようになったのか、いまいち思い出せません。ただ、旧漢字の意味を調べたりする際に、最初の頃は何度も辞書をよく引いていた気がします。

読んでいてどうしてもわからなかったところは素直にWeb辞書でもいいから辞書を引く。慣れるために青空文庫などから明治の作家の文章を読んで練習するというところで、上達の近道でしょうか。それも20年前に比べたら驚異的に便利なので、頑張ってほしいです。